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投稿者:
社長 ブログ
2013/05/15 7:53
2013年5月15日(水)(晴れ)
突然ですが、皆さん「不可能」の反対語ってなんだと思いますか?
”そりゃー「可能」だろ!!”
って答えた皆さん・・・
まー間違いではないですが、「不可能」の反対語について、先日ある経営雑誌でちょっとおもしろい記事を読みましたので下記にご紹介したいと思います。
米国メジャーリーグ(MLB)史上初の黒人選手として知られるジャッキー・ロビンソン(1919-1972)。
「不可能」の反対語を「チャレンジ(挑戦)」と定義づけしたと言われている人です。
彼が歴史的なデビューを果たした1947年4月15日は「ジャッキー・ロビンソンの日」に指定され、その背番号「42」はMLB全球団で永久欠番になっています。
毎年この日は、希望するメジャーリーガー全員が「42」番をつけてプレーするそうです。(なんとあのイチローも)
黒人選手だけで結成された「ニグロ・リーグ」に所属していたロビンソンに目を付けたのは、当時のブルックリン(現ロサンジェルス)・ドジャーズの社長兼GMブランチ・リッキーでした。
彼の熱心な誘いを受け、ロビンソンは45年、ドジャースとマイナー契約。
人種差別が横行していた米国社会にあって、この2人はチャレンジャー以外の何者でもありませんでした。
契約交渉でリッキーは、例えフィールドで嫌がらせがあっても「やり返さないガッツを持て」と差別に対する忍耐を説いたといいます。
2年後、ロビンソンがメジャーに昇格すると、予期した通り白人からの反発は激しく、2人の元には連日脅迫状が届いたそうです。
チームメートの中にはロビンソンとプレーするのを嫌って移籍する選手もいました。
しかし、ロビンソンはリッキーの言葉を忠実に守り、常に紳士的に振る舞い、対戦相手にラフプレーを仕掛けられても決して報復はしませんでした。
やがてシーズン中盤になると、チーム内にロビンソンを擁護する選手が現れ、彼の活躍に拍手を送る白人も出てきたそうです。
以降ロビンソンは活躍し続け、49年には首位打者と盗塁王になってMVPに輝き、同年から6年連続で3割以上の打率をマークしています。
自らのプレーと態度で「人種の壁」を打ち砕いたロビンソンは57年の引退後もチャレンジャーとしての姿勢を貫き、62年には野球殿堂入り。72年に心臓病で53歳の若さで死去しました。
話は変わりますがマネジメントの大家ピーター・ドラッカーをご存知ですよね。
彼が提唱した「目標管理」の考え方のポイントは2つ。
「チャレンジ目標の設定」と「動機づけ」です。
前者は頑張れば何とか達成できそうだという「ギリギリ背伸びした目標」のこと。
後者は、その目標にコミットできない人に、刺激を与えて、やる気を高めることで、さらに外発的なものと内発的なものに分かれるそうです。
「外発的動機づけ」の代表格は金銭的報酬。
「内発的動機づけ」は目標達成が自身の成長や会社の発展に繋がるという使命感や責任感、即ち自分で自分に与える精神的報酬です。
ドラッカーは、上司やリーダーがこれらをうまくマネジメントすれば、部下は自主的に課題に取り組むようになると説いています。
これをロビンソンにあてみると・・・
ロビンソンの目標は、言うまでもなくメジャー昇格でした。
活躍すれば金銭的報酬や名誉を得られますから「外発的動機づけ」としては十分です。
しかし、彼の前には「人種の壁」が大きく立ちはだかっていました。自伝によれば「周りはやめていけという奴らばかりだった」そうです。
それでもロビンソンは、あえて自ら「チャレンジ目標を設定」し、嫌がらせやラフプレーで心身ともに傷つきながらも耐え抜きました。
もちろん「人種の壁」を乗り越えられたのは彼一人の力ではありません。
周囲の反対をよそに契約を推し進めたブランチ・リッチーやオーナー会議の反対を押し切って昇格を決めた当時のコミッショナーがいればこそ。
そのことはロビンソンも十分承知しており、支援者の存在が使命感と責任感として「内発的動機づけ」となっていったのです。
Pro-SPIREも第26期に向けて新たな目標を設定している真っ最中です。
社員にとっては達成の難しい目標に感じるかもしれませんが、みんなには「臆せずロビンソンたれ!」
と言いたい。
ワタクシはブランチ・リッチーになってみんなを支えるつもりです。
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