株式会社 Pro-SPIRE 代表取締役社長 長田ゆかり
投稿者: 社長 ブログ 2013/08/18 13:43
2013年8月18日(日)(晴れ) 「ウィーン・ミュンヘン・パリ旅行記その3(ウィーン~ミュンヘンへ)!!」の続きです。 4日目(8月8日(木)) 本日は現地ツアーバスにて長年の夢の一つ「ノイシュヴァンシュタイン城」を訪れます。 「8:15 ミュンヘン中央駅前(ホテルとは反対側)のデパートカールシュタット(Karstadt)正面入り口に集合です。」 「人気のツアーらしく、ツアーバスは2台。2階建てバスです。」 1台目は英語、ドイツ語を母国語とするツアー客。 2台目は日本語、中国語、韓国語、フランス語、スペイン語、イタリア語を母国語にするツアー客。 に分けられました。 ワタクシ達はもちろん2台目です。 乗車時にイヤフォーンを渡されました。バスの中で、自国語のチャンネルに合わせるとその国の言葉でのガイド案内が流れます。 ドイツ人のちょっとぽっちゃりめの女性のガイドさんもつき、ゆっくりとしたドイツなまりの英語で案内をしてくれます。 9:00ちょっと前、ガイドさんが乗客の人数を「1 eins アイン 2 zwei ツヴァイ 3 drei ドライ・・・」と何回も数え直して漸く出発です。 「最初に訪れたリーダーホーフ城」 リンダーホーフ城は、バイエルン王ルートヴィヒ2世が建設した3つの城のうち、唯一完成した城です。1874年に建築が開始され、1878年に完成しました。 完成後、人間嫌いの彼は長い期間この城で過ごしたそうです。 以外と小さなお城です。 「ゲート前で入城を待っていた10:00丁度、庭園内の金色の女神像の噴水が吹き出しました。」 ゲートは複数あり、幾つかの母国語ごとに時間を決められ、数人づつ入場します。 この日は日本人観光客(JTBのマイバスツアーの人達がほとんどでバスに混載していました。)も多かったのでワタクシ達Japaneseは全員一緒に入場しました。(ちなみにJTBに頼むと、日本人添乗ガイドが同行してくれますがワタクシ達が頼んだ現地ツアーの約2.5倍の料金がかかります。) 城内は撮影NGです。一部屋ごとに日本語の説明テープが流れます。 建物内部はロココ様式の豪華な装飾で飾られていました。人間嫌いの王が人が出入りすることなく食事の用意ができるようにテーブルをせり上げる装置も作られていました。(魔法の食卓と呼ばれたそうです。) 「リンダーホーフ城の裏庭」 10:50バスに再び集合です。 いろいろな国の人達が一緒なのでバスのフロントガラスには集合時間を示した段ボールでできた時計が立てかけられています。 ガイドさんは「遅れたら容赦せずに置いていく!!」と何度も英語で強調していました。 で・・・やはりヒスパニック系の男性1人が本当に置いていかれました。これが後で大変なことにヽ(#゚Д゚)ノ バスは次の散策地オーバーアマガウ(Oberammergau)へ 「フレスコ画で彩られた家(車窓から)」 バスを降りる時、何故か運転手さんがドイツ語でガイドさんを物凄い勢いで叱っていました。(なんとなく置いてきちゃった人のことと関係あるみたい??) この町が有名になるきっかけとなったのは、1633年のペスト大流行の年。 前年の1632年からドイツを襲ったペストですが、ここオーバーアマガウでの被害が少なかったことから、その感謝の意をこめて1634年より村人達の手でキリスト受難劇が始められました。 つまり、オーバーアマガウの歴史は、パッションシアターで開催される10年ごとのこのキリスト受難劇と共に流れてきたとも言えます。 「オーバーアマガウの町は木製のおもちゃや木彫りが特産という点では非常に歴史が古く、キリスト受難劇が始まる3世紀も前の15世紀にまで遡るそうです。」 「暑くもなく、寒くもない清々しい街並みを、しばし散策です。」 先ほど集合時間に遅れた人を本当に置いて行ったので、今回は日本人のみならず全てのツアー客が集合時間をきっちり守って集合場所に集まりました。 が・・・いるはずのバスがいません。 しばらく待っていると、勢い良くバスが戻ってきました。 =3 =3 =3 バスの中にはなんとリンダーホーフ城で置いてきぼりにしたヒスパニック系の男性がポツリと座っていました。 外国人はバスに乗る際、彼に「Hi!!あんたいったいどこへ行っていたのよ。」ってな感じで親しげに声をかけます。 ガイドさんが彼の所に来て英語で話している内容を聞いていると、どうやら彼はバスに「爆弾」を仕掛けて逃げた「テロリスト」かもしれないと疑われ、それで運転手が彼をリンダーホーフ城まで捜しに行ったようで・・・ 慌てて戻った運転手さんが、リンダーホーフ城の駐車場で途方に暮れた彼を見つけたことで、彼の「テロリスト」としての容疑は晴れたようです。 これで無事全員揃い、いよいよノイシュヴァンシュタイン城を目指します。 ただ今14:00。 麓のホーエンシュヴァンガウの駐車場でバスを降り、それぞれランチをしたあと、15:40入場と書かれたチケットをもって自力でノイシュヴァンシュタイン城の中庭にたどり着かねばなりません。 「ホーエンシュヴァンガウ城」 1832年、マクシミリアン2世は12世紀に建設されながらも廃墟になっていたシュヴァンシュタイン城を購入し、4年ほどの歳月を費やしてこの古城を改築したそうです。これがホーエンシュヴァンガウ城です。 マクシミリアン2世の息子、ルートヴィヒ2世は幼年時代をホーエンシュヴァンガウ城で過ごしました。 それにしても今日は朝ごはんを食べていないので、お腹ペコペコ喉もカラカラです。 (´º﹃º`) 近くのレストランのテラス席に座りました。 「ワタクシはやはりソーセージとザワークラウト、マッシュポテトを頂きました。旦那はいつものふにゃふにゃトマトソーススパゲティ、食欲旺盛の息子は大2枚のポークソテーです。」 やっとお腹も満たされていよいよノイシュヴァンシュタイン城を目指します。 ここから城への行き方は「歩いて40分の登山」、「馬車」、「近くのシュロスホテルの前から20分おきに運行しているシャトルバスでマリエン橋まで行き、そこから徒歩15分」 の3つあります。 ワタクシ達はもちろん3番目の方法を選びました。 「シュロスホテル」 「マリエン橋行きのシャトルバス停留所」 バスのチケットを買うにも、シャトルバスに乗るにもかなり並びました。 シャトルバスに乗ると、マリエン橋まで急な山道をわずか5分で連れて行ってくれます。 バスはぎゅうぎゅうですけどガマンガマン!!(≧0≦) 「ここマリエン橋から眺めるノイシュヴァンシュタイン城が一番美しいとガイドブックに書かれているので、橋の上はこの混雑です。木でできた床が抜けないかとちょっと心配でした。」 「マリエン橋から眺めたノイシュヴァンシュタイン城」 「マリエン橋から山道を歩くこと10分、ようやくノイシュヴァンシュタイン城の看板が。」 さらに山道を歩くこと5分、 「ノイシュヴァンシュタイン城の入口と近景」 城の中庭で、チケットに刻印された時間15:40まで入場を待ちます。(入場は5分間隔でグループごとに許可されます。) 15:40入場。写真撮影はNGです。 リンダーホーフ城と同じく、15:40に入場したのは全員日本人だったので、一部屋一部屋の説明は日本語のテープで流れます。 ロマンチック街道のハイライトでもある白亜の城ノイシュヴァンシュタイン城!! ディズニーランドのシンデレラ城のモデルとされるこの城は、19世紀、ルートヴィヒ2世により建設されました。 狂王と呼ばれるほど、おかしな行動が目立つ人物であったルートヴィヒ2世は、自分が死んだらノイシュヴァンシュタイン城が破壊されることを希望していたそうですが、実際には死の直後(本当の死因は今でも謎だそうです。ルートヴィヒ2世は精神を病んでいるという理由で逮捕された後ベルク城に送られ、散歩に出たままシュタンベルク湖で、侍医と一緒に水死体で発見されたそうです。)から城は一般公開され、現在まで5000万人が訪れる一大観光スポットとなり、バイエルン州の大きな観光資源になっているそうです。 ルートヴィヒ2世は結局このお城の建設中に172日間だけ居城して、死んでしまったので王の玉座に椅子はありませんでした。 城内を見学するのにたっぷり1時間かかりました。 集合時間まであと30分。急いでマリエン橋まで戻り、シャトルバスに乗って麓に帰ってきました。 それにしても1年の中でヨーロッパ旅行をする、この時期が一番歩くのではないかと思います。 あとはバスに乗ってミュンヘンまで爆睡です。たっぷり2時間はかかります。 行きは「オラ、オラ」と賑やかだった前の席に座っていたスペイン人の子供たちも眠ったようで、バスの中は静かでした。 19:00 ミュンヘンのカールシュタットまで戻ってきました。 一旦ホテルに戻り、本日の夕食場所を相談することに・・・ 旦那が「なんかカツカレーみたいな気分・・・」 と言うと、息子も大賛成!! 「地球の歩き方」に日本人が経営する「串揚げの店 円」という店が紹介されていました。 スマホで検索すると、「日本以上の日本の味」と日本人駐在員もお薦めのお店とのこと。 タクシーを飛ばし、「円」へ。 「ご主人が名古屋出身で、6年前にミュンヘンにこのお店をだされたそうで、名古屋の味噌だれや、抹茶塩、ゆず塩で頂く串揚げはおいしかったです。カツカレーもほっとする味。値段もミュンヘンにしてはリーズナブルでした。」 明日は午前中から午後にかけてミュンヘン市街を散策し、夕方の飛行機で最終目的地のパリに飛びます。 「ウィーン・ミュンヘン・パリ旅行記その5(ミュンヘン~パリへ)!!」に続きます。
「オーバーアマガウの町は木製のおもちゃや木彫りが特産という点では非常に歴史が古く、キリスト受難劇が始まる3世紀も前の15世紀にまで遡るそうです。」 「暑くもなく、寒くもない清々しい街並みを、しばし散策です。」 先ほど集合時間に遅れた人を本当に置いて行ったので、今回は日本人のみならず全てのツアー客が集合時間をきっちり守って集合場所に集まりました。 が・・・いるはずのバスがいません。 しばらく待っていると、勢い良くバスが戻ってきました。 =3 =3 =3 バスの中にはなんとリンダーホーフ城で置いてきぼりにしたヒスパニック系の男性がポツリと座っていました。 外国人はバスに乗る際、彼に「Hi!!あんたいったいどこへ行っていたのよ。」ってな感じで親しげに声をかけます。 ガイドさんが彼の所に来て英語で話している内容を聞いていると、どうやら彼はバスに「爆弾」を仕掛けて逃げた「テロリスト」かもしれないと疑われ、それで運転手が彼をリンダーホーフ城まで捜しに行ったようで・・・ 慌てて戻った運転手さんが、リンダーホーフ城の駐車場で途方に暮れた彼を見つけたことで、彼の「テロリスト」としての容疑は晴れたようです。 これで無事全員揃い、いよいよノイシュヴァンシュタイン城を目指します。 ただ今14:00。 麓のホーエンシュヴァンガウの駐車場でバスを降り、それぞれランチをしたあと、15:40入場と書かれたチケットをもって自力でノイシュヴァンシュタイン城の中庭にたどり着かねばなりません。 「ホーエンシュヴァンガウ城」 1832年、マクシミリアン2世は12世紀に建設されながらも廃墟になっていたシュヴァンシュタイン城を購入し、4年ほどの歳月を費やしてこの古城を改築したそうです。これがホーエンシュヴァンガウ城です。 マクシミリアン2世の息子、ルートヴィヒ2世は幼年時代をホーエンシュヴァンガウ城で過ごしました。
それにしても今日は朝ごはんを食べていないので、お腹ペコペコ喉もカラカラです。 (´º﹃º`) 近くのレストランのテラス席に座りました。 「ワタクシはやはりソーセージとザワークラウト、マッシュポテトを頂きました。旦那はいつものふにゃふにゃトマトソーススパゲティ、食欲旺盛の息子は大2枚のポークソテーです。」 やっとお腹も満たされていよいよノイシュヴァンシュタイン城を目指します。 ここから城への行き方は「歩いて40分の登山」、「馬車」、「近くのシュロスホテルの前から20分おきに運行しているシャトルバスでマリエン橋まで行き、そこから徒歩15分」 の3つあります。 ワタクシ達はもちろん3番目の方法を選びました。 「シュロスホテル」 「マリエン橋行きのシャトルバス停留所」 バスのチケットを買うにも、シャトルバスに乗るにもかなり並びました。 シャトルバスに乗ると、マリエン橋まで急な山道をわずか5分で連れて行ってくれます。 バスはぎゅうぎゅうですけどガマンガマン!!(≧0≦) 「ここマリエン橋から眺めるノイシュヴァンシュタイン城が一番美しいとガイドブックに書かれているので、橋の上はこの混雑です。木でできた床が抜けないかとちょっと心配でした。」 「マリエン橋から眺めたノイシュヴァンシュタイン城」 「マリエン橋から山道を歩くこと10分、ようやくノイシュヴァンシュタイン城の看板が。」 さらに山道を歩くこと5分、 「ノイシュヴァンシュタイン城の入口と近景」 城の中庭で、チケットに刻印された時間15:40まで入場を待ちます。(入場は5分間隔でグループごとに許可されます。) 15:40入場。写真撮影はNGです。 リンダーホーフ城と同じく、15:40に入場したのは全員日本人だったので、一部屋一部屋の説明は日本語のテープで流れます。 ロマンチック街道のハイライトでもある白亜の城ノイシュヴァンシュタイン城!! ディズニーランドのシンデレラ城のモデルとされるこの城は、19世紀、ルートヴィヒ2世により建設されました。 狂王と呼ばれるほど、おかしな行動が目立つ人物であったルートヴィヒ2世は、自分が死んだらノイシュヴァンシュタイン城が破壊されることを希望していたそうですが、実際には死の直後(本当の死因は今でも謎だそうです。ルートヴィヒ2世は精神を病んでいるという理由で逮捕された後ベルク城に送られ、散歩に出たままシュタンベルク湖で、侍医と一緒に水死体で発見されたそうです。)から城は一般公開され、現在まで5000万人が訪れる一大観光スポットとなり、バイエルン州の大きな観光資源になっているそうです。 ルートヴィヒ2世は結局このお城の建設中に172日間だけ居城して、死んでしまったので王の玉座に椅子はありませんでした。 城内を見学するのにたっぷり1時間かかりました。 集合時間まであと30分。急いでマリエン橋まで戻り、シャトルバスに乗って麓に帰ってきました。 それにしても1年の中でヨーロッパ旅行をする、この時期が一番歩くのではないかと思います。 あとはバスに乗ってミュンヘンまで爆睡です。たっぷり2時間はかかります。 行きは「オラ、オラ」と賑やかだった前の席に座っていたスペイン人の子供たちも眠ったようで、バスの中は静かでした。 19:00 ミュンヘンのカールシュタットまで戻ってきました。 一旦ホテルに戻り、本日の夕食場所を相談することに・・・ 旦那が「なんかカツカレーみたいな気分・・・」 と言うと、息子も大賛成!! 「地球の歩き方」に日本人が経営する「串揚げの店 円」という店が紹介されていました。 スマホで検索すると、「日本以上の日本の味」と日本人駐在員もお薦めのお店とのこと。 タクシーを飛ばし、「円」へ。 「ご主人が名古屋出身で、6年前にミュンヘンにこのお店をだされたそうで、名古屋の味噌だれや、抹茶塩、ゆず塩で頂く串揚げはおいしかったです。カツカレーもほっとする味。値段もミュンヘンにしてはリーズナブルでした。」 明日は午前中から午後にかけてミュンヘン市街を散策し、夕方の飛行機で最終目的地のパリに飛びます。 「ウィーン・ミュンヘン・パリ旅行記その5(ミュンヘン~パリへ)!!」に続きます。
0 コメント